
私は福増廣幸博士の触手療法を博士から直に教わりました。
福増博士は、心臓まで血液を送り返す全身の骨格筋が、解放すべき五つの状態にあること。
その中の、それを真っ先に緩める事で全身を緩められる状態の筋肉の見つけ方、緩め方を発見していました。
それが、福増博士の触手療法が、奇跡の触手療法とまで呼ばれた理由でした。
私はそれがある事も、教わった事も大々的には公言しないで来ました。
文字と言葉で知っているだけだったからです。
教わったのは1995年の事でした。
その後30年を経て筋肉系組織を緩められるようになり、いまでも気づくことが少しずつ増えている状態ですが、人に説明できるようになったと判断しました。緩められるようになるまでに30年かかった訳ではありません。
知る限り、この説明をしている医師はおらず、東洋医学系の施術者にも居ません。
noteで販売の形を取り、公開することにしました。
そもそも、福増廣幸博士は、自分の父親が、担がれて入って来た人を治療すると、何事もなかったかのようにして自分の足で歩いて帰って行くのを毎日見ていました。
医師の説明はよく理解できました。
しかし、理解できないことを言う父親は治せて理解できることを言う医師は治せていません。
福増博士は、父親は理屈が間違っていて、やり方が正しいのだ。
医師は、理屈とやり方の両方に誤りがあるのだ。
そう思って医師になり、心臓外科医となり、米国で人工心臓の動物実験で世界記録を立て、日本に戻ってからは、やりたかった、病に対する根本的な治療法として骨格筋の治療法、触手療法を編み出しました(福増博士は、既に同じ名前の触手療法というものがある事は知らずに名付けてしまいました。ここで触手療法という時は、あくまでも福増廣幸博士の手技療法の方を指します)。
届いた血液を心臓まで血液を送り返すのは全身の骨格筋です。
戻らなければ心臓は血を一滴も送り出すことはできません。
福増博士は東京、京都、松山を一週間で回り、月に一度は札幌まで行っていました。
我々が、そんなに回っていて、疲れませんか?と聞くと「座った途端に着くからとても短い」と言っていました。
起きていられなかったのです。
そして、休む日は年に一度あるか無いかでした。
1993年の夏に初めてお会いし、それから亡くなってしまわれるまでの6年間しか教わっていませんが、大変に貴重で濃密な時間でした。
おそらく、幼かった福増博士が見ていたように、私たちは、「治りました」「ありがとうござます」と礼を述べる人々を、それこそ、千人万人単位で見ていました。
そもそも、治療を受ける前に、病を避け、未病で済ますにはどうすれば良いのか。それも含めて、論文にまとめる直前に先生が亡くなってしまったのが悔やまれてなりません。
これを読んでくださる方々のお役に立てれば幸いです。

